病院薬剤師と開局薬剤師

先日、日曜日に病院薬剤師の研修会に開局薬剤師として参加しました。

大阪の中堅病院薬剤師の方が150名ほど集まり、各議題についてグループ討議し結果を発表するという形式だったのですが、私は開局薬剤師として参加した4人の中の1人でした。

みなさんは、薬剤師であれば病院でも薬局でも同じと思いがちですが、当の薬剤師の意識はかなり違うんです。

いままで目に見えていた薬剤師といえば病院で働いている薬剤師だったと思いますが、実は20年ほど前まで、薬学部を卒業した多くの薬剤師は男性を中心に企業に就職していて臨床の現場にはほとんど行きたがらなかったと思います。

大学での教育も偏差値の高い大学ほど医薬品開発に重きを置いていて臨床薬学を軽視していた傾向があり、調剤はただ数合わせのルーチンワークで、女性が結婚まで勤める職場だという意識があったと思います。

その後医薬分業が進み開局薬剤師が出てくるわけですが、町の薬局はそれまで化粧品や雑貨を売っていた小売業だと思われており当の薬剤師も免許貸しをしたりして患者(消費者)からの支持もないままだったので、病院薬剤師からは知識のない薬剤師と軽蔑されているありさまでした。

ということは、『薬剤師』自体がいままで『薬学部』の中心でなかったという『ねじれ』と、薬剤師の業務が勤務する場所によって全く違っていたという『相違感』が薬剤師の社会的立ち位置に非常に影響してきたのは間違いない事実だったと思います。

ただ分業が進み病院も開局も薬剤師のレベルが上がり社会的にも立場が明確化されてきた今、今度は薬剤師としての業務とそれにより生じる問題が浮き上がっていると今回の研修に参加して感じました。

私が感じた病院薬剤師のかかえる問題に『組織学』というものがあります。病院は基本的には医師が中心に置かれており、そのサポートとして看護師を筆頭に薬剤師を含めその他の医療従事者がいるという構造があると思います。

そういう状況で薬剤師がどうパフォーマンスするかが問題になるわけですが、結局つきつめると、病院内の利益を誰が稼ぎ出しているのか?というのがパフォーマンスになることが多いと思うんです。

そう考えると現在、病院薬剤師の技術料は開局薬剤師より非常に低く決められており(病院は医師の技術料を認めているので薬剤師は補助という考え)薬剤部は稼ぎださない部署という側面がでてくるわけです。

確かに、病棟業務をして技術料を増やしたりDPC(専門的なので説明しませんが)を機会にジェネリック採用し利益貢献したりと行動している病院薬剤師の先生も多いと思いますが、根本的にこれを解消することは技術料を改訂するしかないと思います。そうなると医療法が絡むわけです。

だからこれからの病院薬剤師は政治的なことへの参加が不可欠だと思います。

では私が感じた開局薬剤師のかかえる問題というと『責任』に対する考えだと思います。

前回お話したジェネリックの問題ですが、ある医師からこういうことを言われました『もし、代替調剤で薬剤師が選んだ薬で患者に何かあったら当然薬剤師の責任になるんだよね?』この質問に『はいそうです』と即答できる薬剤師はいったいどれぐらいいるのだろう?と思ってしまいます。

薬剤師という職業はいままでリスクを回避するための仕事であり、自らリスクを背負っていく仕事では無かったわけです。だから本能的に薬剤師はリスクを拒否しメーカーの責任にするなり他に転嫁するんじゃないかなと思います。

今後はいかに『責任=リスク』を背負って患者の疑問や不安に答えられるかが大切になると思います。

ただ、1つ言えることは、病院薬剤師も開局薬剤師も今求められているのは、色々な場面で患者に姿の見える薬剤師(薬剤を通じて患者に情報や利益を見せられる)ということで患者に支持されなければ今後は職業として成り立たないし、逆に言えば支持されれば非常にやりがいのある職業になるということだと思います。

誰のためのジェネリック 2

前回ジェネリック医薬品の選択について、患者の目線に立ち、コストを重視した方がいいのか?信頼性を重視した方がいいのか?など複雑な情報を正確に管理し、説明する役目は薬剤師が適任だと言いましたよね。

これが近い未来の話、実は処方せんの薬剤選定に薬剤師が大きく関わるようになるんです。

というのも、最近関東の一部で始まった一般名処方と代替調剤が、いままでの薬剤選定を大きく変える可能性を秘めているんです。

一般名処方とは、医師が医薬品を成分名で処方し薬剤師が患者と話し合い、ブランドメーカーの医薬品にするかジェネリックメーカーの医薬品にするかを決めるシステムのことで、代替調剤とは、医師がメーカーの商品名で医薬品を処方しても、薬剤師と患者の話し合いにより同一成分の他のメーカーの医薬品に変更が出来るシステムのことです。

どちらも大事なことは、薬剤師が的確に開示また説明した情報をもとに、最終消費者である患者が自ら決定することです。

しかしながら、現在その決定に薬剤師が大いに関わっているかと言えばそうではないのが現実です。実際は診察室で医師と患者の間で薬剤選定が行われていて、それは前回申し上げたような利害が絡んで全てが患者の側に立った決定ではない状態と私は思うわけです。

では、薬剤師はというと、ジェネリック医薬品を調剤してもブランド医薬品を調剤しても技術料は同じですし、自ら薬剤決定権(診断して薬剤を決める)はないわけですから、同じ薬をたくさん使って薬価差益(薬を安く仕入れて国に定価で保険請求した差額)を出すことは出来ず、そこに利益が生まれることはありません。

ということは、純粋に、薬物治療上必要な薬剤選定(ジェネリックかブランドか)を、患者の立場と医療の立場を中立的に考えることが出来る唯一の職業ではないでしょうか?

ただし、このことを実現するには必要条件があります。

それは薬剤師の能力向上です。

今まで薬剤師は処方せんに書かれている医薬品を間違えなく調剤し効能や副作用を説明するだけで良かったのですが、今後一般名処方と代替調剤が広く行われるようになったら、的確な薬剤情報を患者に提供出来るかどうかが非常に重要になります。それによって各薬剤師の実力の差がかなり出てくる気がしますね。

そしてその実力のある薬剤師だけが、患者さんにとってのかかりつけ薬剤師(薬局ではなくて)に成り得るのではないかと思います。
グリーンメディックスタッフは選ばれる薬剤師を目指しています!

誰のためのジェネリック

『こんばんは!加山雄三です。24時間テレビのサライはみなさん歌って頂いたでしょうか?お医者さんの薬代がジェネリック医薬品を使うと安くなります。みなさんジェネリック医薬品を使いましょう!』

なんて(?)コマーシャルが最近本当に増えましたよね。

本当にそうなのか?なんの意味があってこんなコマーシャルが流れているのか?薬剤師の視点から今回は書きたいと思います。

そもそも、医薬品は膨大な時間(15~18年)と開発費(150~200億)を使って開発されるのですが、成分開発してから20年間は開発メーカーに製造特許があり他のメーカーは製造出来ない仕組みになっています。

特許が切れるとそれを真似て開発費も時間もかけずに色々なメーカーが作り出す、その医薬品のことをジェネリック医薬品というわけです。

そして数十というジェネリックメーカーが存在し、薬価(薬の値段)の少し安いA社のジェネリック薬やだいぶん安いB社のジェネリック薬というような多種あるのが現実なんです。ということはメーカーの質によっては、ちゃんとしたジェネリック薬や粗悪品のジェネリック薬があるとは思いませんか?

また最近、コマーシャルが多いのは厚生労働省の医療費抑制政策という国の意図と、あるジェネリックメーカーの関係者が国会議員であるため、議会からの圧力があいまって推進している側面があるようです。

医師もCMで言われているように患者の負担が軽減されるという経済的側面と、ジェネリック薬の特徴(剤形の小ささや味など)によって使用しているという薬剤的側面と、一部のジェネリック薬(安売りジェネリック)には薬価差益がまだかなりあるため使用しているという利益的側面(院内処方の場合)、と多面的な理由から使用されている現状です。

しかし最近になって大手の医薬品メーカーが自社品の製造をジェネリックメーカーにアウトソーシング(外部発注)するケースが増えて来て、確実にジェネリックメーカーの質が向上してきているのも現実です。

例えば、重要度の高い薬はブランド薬(開発メーカー薬)、それ以外の薬は信頼出来るジェネリック薬、などという様に上手く使い分けるという考え方もできるわけですし、今後ジェネリック薬は使用される頻度は確実に高くなると予想されるので、患者の目線に立ちコストを重視した方がいいのか?信頼性を重視した方がいいのか?など複雑な情報を正確に管理し、患者さんに適切に開示し、説明する役目が必要になるわけで、それは私が思うに薬剤師が適任だと思います。みなさん薬剤師に相談してくださいね!

何故、薬剤師が適任かは次回のコラムでお話したいと思います。

Puffyな感じ

私はジーンズをちょこちょこ買いに行くが、いつからだろうこんな感じになったのは・・・

ひと昔、『ジーパンをはく』ことが『若さ』の証明であり、メーカーの数も少なく違いがほとんど無かった頃は、はくこと自体に意味があったと思いませんか

しかし、私が思うに多分Puffyが出て来て何となく変わった気がしていて、いわゆる『古着を着る』ということが一般化し、いままでの型にハマったかわいい女の子とかっこいい女の子とは違うちょうどいいルーズ感を出した新しい存在感が生まれたように思えます。

Puffyが始めた『気張らない』スタイルはファッションの選択の幅を飛躍的に広げたし、これは日本人のファッション以外の感覚にも影響してきていると思います。まさにこの感じは以前のコラムにも書いたがイトイさんが言っている『いごこちのいい感じ』と共通しているのではないでしょうか。

なぜ今こんな話をしているかというと、現状では医療はまだそのような感じにはほど遠く、エビデンスという根拠に基づき、型にハマった治療を行うことが実に多いんです。確かに医療とは治療することが目的で、気持ちを満足させることが目的ではありませんが・・・。機械化されたような診察現場と、まさしく機械と同じような薬剤師の調剤業務と服薬指導になってしまいがちなんです。

私はたまに小児の救急の調剤に当番で勤務することがあり、そこでは20代の若いDrの処方は本当にあっさりしたものが多いんですよね、それに輪をかけてあっさりした服薬指導を薬剤師がしてしまう。これに何となく私は違和感を感じてしまうんです。

確かに、例えばウィルス感染の診断によって出ている処方は病理からするとあっさりしているのはよく解るのですが、親御さんは子供のことで心配で受診をされているわけで、その気持ちを汲み取る処方なり、いい説明が出来ればDrと患者の関係も『いごこちのいい感じ』になると思うんです。

だから薬剤師も患者にフィットする『気張らない』というPuffyな感じの服薬指導なり情報提供が出来ればDrサポートと患者への啓蒙が出来ると思うわけです。

Puffyな薬剤師か~いいなあ

どうなん?インテルマック

私はずっとマック(パソコン)を使っています。

思えば、カラクラからなのでかなりの年数を使っているわけです。

それがぁ!!インテルですよ!マックがインテルですよ!モトローラはどうなったんだよ!俺は68Kから使ってたんだよ!IBMさんどうなのよ!ハァ!ハァ!

…少し落ち着きました。以前より熱処理の問題でPowerBookにG5が載らなかった訳ですし、PowerMacも水冷ですよ!水冷!車じゃあるまいし!

まあいつかこの日がくるかも?との憶測はありましたが…

しかしながら、今までマックは独自性にこだわって汎用性をある意味削って来た歴史があり、それがブランド化につながっていたのも確かであると思います。その最たるものがNewton OSであり、その後の結末は知る通りなのですが・・・。

でも私は未だにNewton(アップル製の本当のPDA)を使い続けています。それは前回コラムにも書いたアナログ的な要素があるからなんです。なんせ、かゆいところに手が届く的な感じがあるのでほぼ日手帳と二人三脚で使っているわけです。

しかし、いかに理想的な考えがあってもマスに認知されなければ(汎用性がなければ)淘汰されてしまいます。
だから今回のことで、独自性と汎用性の難しさを私は痛感させられました。医療も然りで薬局も本当はインフラ的な意味がありマスを意識した部分がないと駄目なわけですが、やはり独自性というものも必要であり、その上手い融合点を探らなければいけないと実感させられたトピックでした。

そう考えるとアップル社の考えは理解できるし、少しはインテルマックを使いたいという思いは出るわけです。

独自性を持ちながら汎用性もある。これがグリーンメディックの課題です。

10年ひと昔

実は、うちの薬局が開局して丸10年なんです。

今でも『いつ開局されたんですか?』という患者さんがいるぐらいアピール度の弱い薬局なんですが、とりあえず10年なわけです。

ただ、この10年の変化はめまぐるしく、初めはとりあえず『ショホウセン』の意味や『ヤクザイシ』という職業を理解してもらうことが非常に大変でした。

医薬分業の長所と短所を書いたチラシや薬剤師の利用の仕方を書いたチラシを手作業で近所に配ったことを今でも思い出します。(よく番犬に吠えられてビク!となってたなぁ〜あれ以来番犬は嫌いです)何とか1回でも薬局という所に足を運んでもらうきっかけを作れないか?と色々と無い智恵を絞っていたように思います。

最近のマスコミなどで処方せんになると負担が増えるだとか、薬剤師不要論などを聞くと薬剤師であれば反論したくなる方もいるでしょうが私は不思議と反論する気持ちはあまりないです。

なぜなら10年前の気持ちが有るからなんです。以前は不要も何も存在すら意識されていなかったわけですから…

“医薬分業は患者が希望して進んだものではなくて国が推進して進んだ”ということを当の薬剤師は決して忘れてはいけないと思うわけです。

だから薬剤師が今しなければならないことは、患者がいかに処方せんなどで薬局へ行って調剤なり服薬指導なり自家製剤なりで有形無形のサービスを受けた時に『良かった!得した!』と思ってもらう事を増やすかが非常に大切なわけです。

というわけで、グリーンメディックは今後もコツコツとしたアピールでがんばりたいと思いますので宜しくお願いします。

↑10年前のDM と 現在のDM↓

ほぼ日的発想(日常と非日常)

何か最近ジダイが変わって来たよなぁと漠然と思っていた。
何がどうとは解らなかったけど、
その答えを知る事になったのはあることだった。

私はほぼ日刊イトイ新聞(以下「ほぼ日」)をほぼ毎日拝読?いや拝ネットしている。

私たち世代からは糸井重里さん(お!一発変換したよ、イトイさんってやっぱり有名なんだなぁ)は「80年代にコピーライターとして一時代を築いた人」だが、現在の私の見るイトイさんは以前の時代とは違う新しいジダイへの距離感と角度を持っているのである。

いままで私は未来というものは常に良くなるものと信じていて、技術の進歩や発展的なことをすることが人間の生活も良く変えて行くと思っていて、すこしでも背伸びして時代に自分を無理に合わせていた感覚があり、私たち世代はパソコンやモバイルコンピュータや最先端のDCブランドの服やバウハウスに端を発する工業化・規格化されたデザインなど未来を具体的に感じれるものに飛びついていたように思えたが、いつからかミライはそう進歩しないことが解り、身の丈を知った居心地のいい価値観に変わったように思える。

そういうことを漠然と感じていた時に「ほぼ日」を読むようになり、糸井さんの言っている価値観がまさしく今までの時代から違った新しいジダイへ変化したことを具体的に知る事となった。

それは居心地のいい価値観は新しいことを生む人と人の小さなつながりだったり、的を得た手作りの企画だったり、未来という「非日常」のお仕着せではなくアナログ的な「日常」を絶妙に企画することが大切なんだと知る事となったわけである。

グリーンメディックはアナログ的絶妙感を大切にして行きたいと思っています。
第一歩として、まず私は今年からクリエをやめてほぼ日手帳を使い始めました。

<関連>
ほぼ日刊イトイ新聞

世界の常識

薬局をやっていると色々な方がやってきて驚かされることがある。

『あの〜今度アメリカに帰省するんですけど酔い止めに抗ヒスタミン薬頂けますか?』とある人

『あの〜私アモキシシリンにアレルギーがあるんですよ』とある人

この2人に共通のことは何でしょう??

答えは二人とも海外で生活をしていた人ということです。

ちなみに、抗ヒスタミンとは鼻炎やアレルギーの薬の薬効名で、副作用の眠気を利用して酔い止めによく使われている。またアモキシシリンは薬の成分名で私たち医療従事者がよく使う言葉である。

そもそも医薬品の薬理や効能を知らずに購入したり服用しているのは世界中を見ても日本だけじゃないだろうか?

『あの〜○○さんがコマーシャルをやってる薬あります?』となることが多い所以もこのことからだろうか。

医療用医薬品(お医者さんからもらう薬)にしても明かに適正な情報不足があり、薬剤師がDrの処方意図を適切に患者に伝えきれているか?また薬剤の適正な注意点や副作用情報を正しく伝えているか?と言われるとまだまだだと思う。

下の写真はアメリカでの医療医薬品の薬剤情報の紙だが、やはり薬剤の情報はかなり詳しく書かれているなあと感じた。

今後は日本でも今以上に情報は開示される方向だとは思うが、患者に対して必要な情報と、誤解を招きかねなくあえて文章化しない方が良い情報など、薬の専門家として良い咀嚼感を持ち、患者側に立った情報提供が大切だなあと思う。

そう!適正な咀嚼感のある情報だよね!


うどんや風一夜

私は旅行に行った先で変わった薬局があると入るのが好きで薬剤師を名乗らずに色々見てしまうが、先日伊勢神宮に行った時、おかげ横町に古めかしい薬局がありフラッと入って店内を見ていると面白い薬があった。

時が止まったような薬局内には古くからある薬が所狭しとならんでいて、ドラッグストアとも調剤薬局とも全く違う雰囲気を醸し出していた。

その中に『うどんや風一夜薬』という変な名前の薬があり、なんだこりゃ?と思い薬剤師の習性で裏の成分を見た。非常に軽度な効果の解熱鎮痛薬と生薬が入っているもので、風邪の初期症状を改善する目的なんだなあと思いながら見ていると、なんと使用法には

『この薬はアツアツのうどんと一緒に服用してください 
そうするとかぜが早く治ります
だからうどんや風一夜薬というのです』

と書いてあるではないですか!

ちなみに、この薬は明治9年創業で大阪市東住吉区の(株)うどんや風一夜薬本舗で製造しているという。風邪の初期症状にはアツアツのうどんを食べ、この薬を飲んで一晩眠ることが一番だという考えにより、当時はうどん屋さんで販売されていたようだ。壷井栄著の「二十四の瞳」にも登場し、そば文化の関東では「そばや風一夜薬」として販売されていた経緯もなんとも興味深い。

自分でも漢方を調剤するので口頭で医食同源的なことを服薬指導したりすることはあったが、服用方法が「うどんと食え」とは、かなりステキな服用方法だなあと感心して思わず1つ下さいと言って買ってしまった。

漢方学上、人間はバランスの崩れから病になると考え、生体の自己免疫を意識するかどうかで効果はかなり違うわけだが、現在の医療用医薬品(Drの処方薬)の調剤での服薬指導にはこういった考えを意識して指導している薬剤師はほとんどいない現状であり、この薬が医療業界(特に保険医療)に対して投げかけていることは大きいと思う。(軽度医療の軽視と病理信仰によるマニュアル化という点で)

改めてグリーンメディックは軽度医療にこだわろうと思った。

(株)うどんや風一夜薬本舗

中尊寺ゆつことナンシー関

1月31日、中尊寺ゆつこさんがS状結腸癌で亡くなられました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

今回、中尊寺さんが亡くなった時にとっさに頭によぎったのがナンシー関さんでした。

お二人とも私と同世代で親近感があったのも事実なのですが、もっと感じていたのは文章を拝読した時の物事や時代への距離感と角度(ユルサとキツサ)でした。

具体的に言うとネタとしての指摘の的確さと適度なユルサと(客観的判断と全体的判断)と問題提示の距離感(時代という大きな視点と日常生活レベルでの小さな視点の両者を意識している)と物事に対しての自分の判断(自己を理解した上での判断)、という社会に属して生きている者の不可欠の能力を正論からずらしながら絶妙に文章化されていることでした。(当の本人たちは社会に属していないタイプだったように思えるが)

そういう意味では、課長から取締役になった島耕作のように会社という社会に取り込まれながらの生き方でない、女性という中立にたったオヤジギャルが今後の時代をどう生きて行くのかを見たかったのは私だけではなかったと思います。

しかしながら、我々新人類と言われた世代が今社会の中核になってきているなかで、社会とどのような距離感と角度をとるかは非常に問題であり、中尊寺さんやナンシーさんのように時代という大きな流れと日々の小さな出来事をいかに融合させて自らの判断を提示していくということがますます我々に必要とされる世の中になると思います。

<関連>

中尊寺ゆつこ
ナンシー関