どうなん?インテルマック

私はずっとマック(パソコン)を使っています。

思えば、カラクラからなのでかなりの年数を使っているわけです。

それがぁ!!インテルですよ!マックがインテルですよ!モトローラはどうなったんだよ!俺は68Kから使ってたんだよ!IBMさんどうなのよ!ハァ!ハァ!

…少し落ち着きました。以前より熱処理の問題でPowerBookにG5が載らなかった訳ですし、PowerMacも水冷ですよ!水冷!車じゃあるまいし!

まあいつかこの日がくるかも?との憶測はありましたが…

しかしながら、今までマックは独自性にこだわって汎用性をある意味削って来た歴史があり、それがブランド化につながっていたのも確かであると思います。その最たるものがNewton OSであり、その後の結末は知る通りなのですが・・・。

でも私は未だにNewton(アップル製の本当のPDA)を使い続けています。それは前回コラムにも書いたアナログ的な要素があるからなんです。なんせ、かゆいところに手が届く的な感じがあるのでほぼ日手帳と二人三脚で使っているわけです。

しかし、いかに理想的な考えがあってもマスに認知されなければ(汎用性がなければ)淘汰されてしまいます。
だから今回のことで、独自性と汎用性の難しさを私は痛感させられました。医療も然りで薬局も本当はインフラ的な意味がありマスを意識した部分がないと駄目なわけですが、やはり独自性というものも必要であり、その上手い融合点を探らなければいけないと実感させられたトピックでした。

そう考えるとアップル社の考えは理解できるし、少しはインテルマックを使いたいという思いは出るわけです。

独自性を持ちながら汎用性もある。これがグリーンメディックの課題です。

10年ひと昔

実は、うちの薬局が開局して丸10年なんです。

今でも『いつ開局されたんですか?』という患者さんがいるぐらいアピール度の弱い薬局なんですが、とりあえず10年なわけです。

ただ、この10年の変化はめまぐるしく、初めはとりあえず『ショホウセン』の意味や『ヤクザイシ』という職業を理解してもらうことが非常に大変でした。

医薬分業の長所と短所を書いたチラシや薬剤師の利用の仕方を書いたチラシを手作業で近所に配ったことを今でも思い出します。(よく番犬に吠えられてビク!となってたなぁ〜あれ以来番犬は嫌いです)何とか1回でも薬局という所に足を運んでもらうきっかけを作れないか?と色々と無い智恵を絞っていたように思います。

最近のマスコミなどで処方せんになると負担が増えるだとか、薬剤師不要論などを聞くと薬剤師であれば反論したくなる方もいるでしょうが私は不思議と反論する気持ちはあまりないです。

なぜなら10年前の気持ちが有るからなんです。以前は不要も何も存在すら意識されていなかったわけですから…

“医薬分業は患者が希望して進んだものではなくて国が推進して進んだ”ということを当の薬剤師は決して忘れてはいけないと思うわけです。

だから薬剤師が今しなければならないことは、患者がいかに処方せんなどで薬局へ行って調剤なり服薬指導なり自家製剤なりで有形無形のサービスを受けた時に『良かった!得した!』と思ってもらう事を増やすかが非常に大切なわけです。

というわけで、グリーンメディックは今後もコツコツとしたアピールでがんばりたいと思いますので宜しくお願いします。

↑10年前のDM と 現在のDM↓

ほぼ日的発想(日常と非日常)

何か最近ジダイが変わって来たよなぁと漠然と思っていた。
何がどうとは解らなかったけど、
その答えを知る事になったのはあることだった。

私はほぼ日刊イトイ新聞(以下「ほぼ日」)をほぼ毎日拝読?いや拝ネットしている。

私たち世代からは糸井重里さん(お!一発変換したよ、イトイさんってやっぱり有名なんだなぁ)は「80年代にコピーライターとして一時代を築いた人」だが、現在の私の見るイトイさんは以前の時代とは違う新しいジダイへの距離感と角度を持っているのである。

いままで私は未来というものは常に良くなるものと信じていて、技術の進歩や発展的なことをすることが人間の生活も良く変えて行くと思っていて、すこしでも背伸びして時代に自分を無理に合わせていた感覚があり、私たち世代はパソコンやモバイルコンピュータや最先端のDCブランドの服やバウハウスに端を発する工業化・規格化されたデザインなど未来を具体的に感じれるものに飛びついていたように思えたが、いつからかミライはそう進歩しないことが解り、身の丈を知った居心地のいい価値観に変わったように思える。

そういうことを漠然と感じていた時に「ほぼ日」を読むようになり、糸井さんの言っている価値観がまさしく今までの時代から違った新しいジダイへ変化したことを具体的に知る事となった。

それは居心地のいい価値観は新しいことを生む人と人の小さなつながりだったり、的を得た手作りの企画だったり、未来という「非日常」のお仕着せではなくアナログ的な「日常」を絶妙に企画することが大切なんだと知る事となったわけである。

グリーンメディックはアナログ的絶妙感を大切にして行きたいと思っています。
第一歩として、まず私は今年からクリエをやめてほぼ日手帳を使い始めました。

<関連>
ほぼ日刊イトイ新聞

世界の常識

薬局をやっていると色々な方がやってきて驚かされることがある。

『あの〜今度アメリカに帰省するんですけど酔い止めに抗ヒスタミン薬頂けますか?』とある人

『あの〜私アモキシシリンにアレルギーがあるんですよ』とある人

この2人に共通のことは何でしょう??

答えは二人とも海外で生活をしていた人ということです。

ちなみに、抗ヒスタミンとは鼻炎やアレルギーの薬の薬効名で、副作用の眠気を利用して酔い止めによく使われている。またアモキシシリンは薬の成分名で私たち医療従事者がよく使う言葉である。

そもそも医薬品の薬理や効能を知らずに購入したり服用しているのは世界中を見ても日本だけじゃないだろうか?

『あの〜○○さんがコマーシャルをやってる薬あります?』となることが多い所以もこのことからだろうか。

医療用医薬品(お医者さんからもらう薬)にしても明かに適正な情報不足があり、薬剤師がDrの処方意図を適切に患者に伝えきれているか?また薬剤の適正な注意点や副作用情報を正しく伝えているか?と言われるとまだまだだと思う。

下の写真はアメリカでの医療医薬品の薬剤情報の紙だが、やはり薬剤の情報はかなり詳しく書かれているなあと感じた。

今後は日本でも今以上に情報は開示される方向だとは思うが、患者に対して必要な情報と、誤解を招きかねなくあえて文章化しない方が良い情報など、薬の専門家として良い咀嚼感を持ち、患者側に立った情報提供が大切だなあと思う。

そう!適正な咀嚼感のある情報だよね!


うどんや風一夜

私は旅行に行った先で変わった薬局があると入るのが好きで薬剤師を名乗らずに色々見てしまうが、先日伊勢神宮に行った時、おかげ横町に古めかしい薬局がありフラッと入って店内を見ていると面白い薬があった。

時が止まったような薬局内には古くからある薬が所狭しとならんでいて、ドラッグストアとも調剤薬局とも全く違う雰囲気を醸し出していた。

その中に『うどんや風一夜薬』という変な名前の薬があり、なんだこりゃ?と思い薬剤師の習性で裏の成分を見た。非常に軽度な効果の解熱鎮痛薬と生薬が入っているもので、風邪の初期症状を改善する目的なんだなあと思いながら見ていると、なんと使用法には

『この薬はアツアツのうどんと一緒に服用してください 
そうするとかぜが早く治ります
だからうどんや風一夜薬というのです』

と書いてあるではないですか!

ちなみに、この薬は明治9年創業で大阪市東住吉区の(株)うどんや風一夜薬本舗で製造しているという。風邪の初期症状にはアツアツのうどんを食べ、この薬を飲んで一晩眠ることが一番だという考えにより、当時はうどん屋さんで販売されていたようだ。壷井栄著の「二十四の瞳」にも登場し、そば文化の関東では「そばや風一夜薬」として販売されていた経緯もなんとも興味深い。

自分でも漢方を調剤するので口頭で医食同源的なことを服薬指導したりすることはあったが、服用方法が「うどんと食え」とは、かなりステキな服用方法だなあと感心して思わず1つ下さいと言って買ってしまった。

漢方学上、人間はバランスの崩れから病になると考え、生体の自己免疫を意識するかどうかで効果はかなり違うわけだが、現在の医療用医薬品(Drの処方薬)の調剤での服薬指導にはこういった考えを意識して指導している薬剤師はほとんどいない現状であり、この薬が医療業界(特に保険医療)に対して投げかけていることは大きいと思う。(軽度医療の軽視と病理信仰によるマニュアル化という点で)

改めてグリーンメディックは軽度医療にこだわろうと思った。

(株)うどんや風一夜薬本舗

中尊寺ゆつことナンシー関

1月31日、中尊寺ゆつこさんがS状結腸癌で亡くなられました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

今回、中尊寺さんが亡くなった時にとっさに頭によぎったのがナンシー関さんでした。

お二人とも私と同世代で親近感があったのも事実なのですが、もっと感じていたのは文章を拝読した時の物事や時代への距離感と角度(ユルサとキツサ)でした。

具体的に言うとネタとしての指摘の的確さと適度なユルサと(客観的判断と全体的判断)と問題提示の距離感(時代という大きな視点と日常生活レベルでの小さな視点の両者を意識している)と物事に対しての自分の判断(自己を理解した上での判断)、という社会に属して生きている者の不可欠の能力を正論からずらしながら絶妙に文章化されていることでした。(当の本人たちは社会に属していないタイプだったように思えるが)

そういう意味では、課長から取締役になった島耕作のように会社という社会に取り込まれながらの生き方でない、女性という中立にたったオヤジギャルが今後の時代をどう生きて行くのかを見たかったのは私だけではなかったと思います。

しかしながら、我々新人類と言われた世代が今社会の中核になってきているなかで、社会とどのような距離感と角度をとるかは非常に問題であり、中尊寺さんやナンシーさんのように時代という大きな流れと日々の小さな出来事をいかに融合させて自らの判断を提示していくということがますます我々に必要とされる世の中になると思います。

<関連>

中尊寺ゆつこ
ナンシー関

イチローと薬剤師


なんとなくミーハーっぽいが私はイチローが好きだね〜
(愛工大明電時代からではないが)
何が好きだといえば、派手じゃないところかなあ?

それと、いわいる現在一般的日本人が良いとするところではないことを継続して結果を出しているところだと思う。

もう少し具体的に言えば『安打』というなんでもないこと(一般的に脚光の浴びないこと)を極めていき進化を常にさせる事での美しさを創造していることだ。

普通は大きなことや、誰もが羨む(分かりやすいこと)をすることを是とし、尚かつ最近の日本の教育システムよろしく欧米型のアピール好きの行動パターンでの世論への露出戦略が多いなか、イチローは私が考える一番日本人が世界で通用するパターンでの結果創造に見えるからである。

安打数の記録といっても毎日の安打なんて誰もすごいとは言わないと思う。
しかし、継続と磨き込みの積み上げ作業による結果は途方もないものになっているわけだ。

実際彼はカメラの届かない場所で毎日、毎日、毎日変わらぬ地味な練習を考えられない時間やり、常に極めることでの進化をして結果を出しているに違いないと私は思う。

このパターンは戦後の日本が世界へ通用する唯一の方法でありホンダしかりソニーしかり現在の世界的企業しかりである。しかし、近年は欧米の影響で日本にこの手の力(団塊の世代以降)があるかどうかは疑問だけど…

医療における薬剤師の位置づけも日々の作業は脚光のあびない立場であることは間違いないわけだが、日々の業務の極め方いかんでは非常に大きな視点からの業務になると私は思っている.

それはDrは診断という主観的な職業でありどこかで結果のために自分の意見を集約するわけだが、薬剤師は膨大なDrの処方パターンを知っていてその中から処方されている薬剤選定の客観的な判断による全体的な大きな視点での説明(服薬指導と処方監査および患者のコンプライアンス向上)が仕事になるわけだ。

この地味な作業を極めて継続し積み上げることはイチローがやっている美しさと通じるところがあるんじゃないかと私は思う。
他の薬剤師の方そう思いません?

資生堂と水野薬局

私の知る限り調剤薬局という言葉が一般に知られるようになったのはここ15年ほどではないだろうか。

そもそもいつから調剤薬局はあったのか?(薬局の許可をもらうには調剤室がないとダメだし調剤ができるのがあたりまえじゃないか!という建前論はおいといて)そもそも調剤薬局ってなに?と思った時があった。

日本で西洋調剤薬局ができたのは1872年(明治5年)銀座に資生堂がはじめたのが最初である。

そう!資生堂はもとは調剤薬局だったわけである。その後全国に西洋調剤薬局はできたわけである。

え?西洋調剤薬局って何?

その当時、各薬局では自家製剤を製造しており医薬品を製造していた薬局のことをさしていたようである。製造していた医薬品が有名になりメーカーになった薬局(企業)もあり、まさしく薬の局(つぼね)であったようである。

現在の、処方せん調剤の意味の『調剤薬局』がはじめて出来たのは1909年(明治42年)水野薬局が東京大学付属病院前に開局し1964年にわが国はじめての処方せん調剤薬局(処方せん調剤を主にする薬局)が認可されたわけだ。

なぜ水野薬局が調剤(処方せん調剤)と販売(一般薬)を分離しようと思ったかは永い歴史の上にたった決断だったし非常に崇高な信念の上での流れだったと思う。しかし、今、処方せんが一般化し医薬分業率50%を越えた現在、若い薬剤師のなかには薬剤師の仕事は処方せん調剤(ただ数あわせの調剤と簡単な薬の説明)と思っている方がいるのも事実だと思う。

私は、GREENMEDICが水野薬局の調剤に対する質の追求と、資生堂が考えていたメーカー的考え(創造的)が融合した薬局ができればいいなと日々考えているところだ。

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