資生堂と水野薬局

私の知る限り調剤薬局という言葉が一般に知られるようになったのはここ15年ほどではないだろうか。

そもそもいつから調剤薬局はあったのか?(薬局の許可をもらうには調剤室がないとダメだし調剤ができるのがあたりまえじゃないか!という建前論はおいといて)そもそも調剤薬局ってなに?と思った時があった。

日本で西洋調剤薬局ができたのは1872年(明治5年)銀座に資生堂がはじめたのが最初である。

そう!資生堂はもとは調剤薬局だったわけである。その後全国に西洋調剤薬局はできたわけである。

え?西洋調剤薬局って何?

その当時、各薬局では自家製剤を製造しており医薬品を製造していた薬局のことをさしていたようである。製造していた医薬品が有名になりメーカーになった薬局(企業)もあり、まさしく薬の局(つぼね)であったようである。

現在の、処方せん調剤の意味の『調剤薬局』がはじめて出来たのは1909年(明治42年)水野薬局が東京大学付属病院前に開局し1964年にわが国はじめての処方せん調剤薬局(処方せん調剤を主にする薬局)が認可されたわけだ。

なぜ水野薬局が調剤(処方せん調剤)と販売(一般薬)を分離しようと思ったかは永い歴史の上にたった決断だったし非常に崇高な信念の上での流れだったと思う。しかし、今、処方せんが一般化し医薬分業率50%を越えた現在、若い薬剤師のなかには薬剤師の仕事は処方せん調剤(ただ数あわせの調剤と簡単な薬の説明)と思っている方がいるのも事実だと思う。

私は、GREENMEDICが水野薬局の調剤に対する質の追求と、資生堂が考えていたメーカー的考え(創造的)が融合した薬局ができればいいなと日々考えているところだ。

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