2012 弐の巻

今、紅白は嵐が歌っています‥‥

今年のGM忘年会は12/29という

本当の年末に行われました。

棚卸しの後という強行スケジュールで

みなさんありがとうございました。

いやぁ素晴らしい場所でしたね。

ST REGISでやりましたよ。

とても美味しい優しいフレンチを堪能しました。

来年の4月に入社する榎並さんも↑参加してもらいました。

それと、GMで6年弱働いてもらった坂田さんと塚本さん

が12月で退職となりました。

人生は流れです。常に変化をして行きます。

二人の未来が常に明るいものであれば良いと思いますし

GMが少しでも貢献できたならば良かったと思います。

二人とも本当にお疲れ様でした。

57会にはずっと助けられてきたね‥‥

ホントにありがとう。

二次会は世代別ボーリング大会でした。

残念ながら我らOLDチームは勝てませんでしたが

楽しい時間を過ごしました。

2012はGMにとって大事な年となりました。

ここ数年の変化しなければならないのに

なかなか変わらない感じを払拭出来た一年でした。

来年は予定では、少し大変になりますが、

GMの理念である新しい価値観の創造のために

一歩一歩必ずつ進化していく姿勢を崩さず進んで行こうと

思います。

今年一年、お疲れさまでした。

2012

今年も年末になりましたね。

今年も紅白歌合戦を見ながらこのブログを書いています。

やっぱりきゃりーは凄いね。

色彩とデザインは本当にいいね。

ではでは、今年最後の更新ですよ。

地域の包括支援センターからの依頼で地域の老人への

認知症の講演をしました。

最近本当に患者さんが増えて来ている実感があります。

介護の家族の方が真剣に聞いてもらいました。

GM遠足といえば、『モクモク』ですが‥‥

今年も冬の遠足としてモクモクファームでみんなで行ってきました。

バスの貸し切りです

途中の窓の外は雪景色でした

いつもの通り自然のいい空間がそこにありました。

モクモクのいいところは

とにかく食べ物が美味しいことですよね。

GM遠足の名誉会長の豊田さんです。(となりはMC神名です)

今年も企画と参加してもらえました。

豊田さんありがとうございます。

北井さんの愛娘の1歳の誕生日も祝いました↑

となりは初登場ご主人の澤田くんです。

もう一つのイベントで料理体験教室をしました。

豚まん作りとお菓子作りとソーセージ作りの

グループに分かれて体験しました。

私は豚まん作りをしました。

めっちゃ美味しい豚まんができました!

↑足湯につかる通山親子の図

今年は親子の参加も多く

とにかく楽しい一日でした。

企画して頂いた豊田さん

企画とMCとゲームをしてもらった神名さん

ありがとうございました。

もろもろ

いつも通り、もろもろの話です。

先日、GMの緊急のミーティングがありました。

みんな何の内容か解らず不安そうですが‥

美味しい梅の花弁当を笑顔で食べています。

内容は言えませんが、GMは来年から変わりますよ‥

その『変わるGM』の一つのプロジェクトのために

東京に日帰りをしてきました。

快晴の気持ちいい秋晴れの東京でした。

とにかく分単位のスケジュールでしたが

かなり収穫のある東京でした。

帰り際に寄ったTSUTAYA代官山ではパワーを

もらいました。

『蔦屋書店』と書いたそのロゴには決意と覚悟を

感じましたし、

かなり『切れ』のある提案型のショップでした。

iTunesの台頭でレンタルCDは年配の人のための業態と

なった今、あえて『本屋』にこだわり、

文化の発信にこだわり、

『切れ』にこだわった店舗作りをされていました。

こんな店舗が成り立つ国だといいな。

と心から思いました。

今年も神農さんです。

また出ました、薬種屋仲間が出来て290年だそうです!

いつも途方もない年数なのでイメージ出来ないですよね。

改めて薬の発祥は大阪なんだなと思いましたね。

それと今日、11/25日は‥

大阪マラソンの日でした。

我がGMからは、神名さんと藤末くんが参加しました。

神名さんは8キロの参加で見事に完走しました!

(ブログに感想を書いてるね)

藤末くんはフルマラソンの参加で

私も応援に行ったのですが‥

なんせ走ってる人が多すぎて、まったく見つかりませんでした。

でも、ゼッケンにチップが埋め込まれてて、

ネットでだいたいの現在地とラップが解るようになっていました。

こんな感じです。

ちなみに藤末慎の結果は‥‥

いや〜藤末がんばったよ。

たいしたもんだよ。

でもさ〜藤末さあ〜あの子にあれを、こうしたら

絶対にあれがこうなって、よかったのになぁ〜と

でもダメだったら、こうなって面白かったのに、

とイロイロ、もろもろと思った大阪マラソンでした。

紅葉

唐突ですが‥

私は自他ともに認めるワーカホリックなのです。

毎日毎日働いていて、あまりどこもいけないので

紅葉も仕事中に堪能しております。

お気に入りは南千里から東へ向かう

道沿いの並木道です。

結構きれいですよ‥‥

てんやわんや

いや〜時間が過ぎるのは早いね!

アッッッッという間に一ヶ月経ちましたよ。

更新も滞ってすみませんでした。

もろもろ更新行きますよ。

日本維新の会の発足式に出席してきたり‥‥

←とにかくマスコミの数がハンパじゃなかったです

薬剤師のパートで入社した鎌内さんの歓迎会をやったり‥‥

鎌内さんの内面がオタクで男子ということが解り

非常に楽しかったです。

それと、みなさんがブログでアップしているように

静岡県の浜松市で行われた日本薬剤師会学術大会に

参加してきたり‥‥

↑行きの新幹線のなかです。

この後の宴会の状況は想像もしてないですね〜

浜松市をあげての大会になっていました。

←浜松といえばヤマハなので駅にリスニングルームがありました。さすが!

←宿は星野リゾートの花乃井さんです。

非常に趣のあるところでした。

当然、講演や分科会を聞いて勉強と参考になったのですが‥‥

とにかく宴会が大変なことになりました。

←大川くんの逆立ちあり

↑野崎、藤末の一気飲みあり

料理は最高に美味しかったですね〜

←60会?のツーショットです

料理ありゲームあり景品ありで、とにかく盛り上がりました。

研修という大事な目的はあったのですが、みんなの懇親には

本当に良かったと思います。

最後のショットは‥

↑57会の記念撮影です。

早い・旨い・安い

吉野家です。

学生時代、いや正確に言えば、高校一年から

ずっと食い続けている吉野家です。

『早い〜旨い、安いの三拍子〜』と昔は言ったものです。

しか〜し、昨日行った吉野家は様変わりしていました。

メニューに牛丼以外がたくさんあり、(カレーもありました)

店員の方もいつもは『出来るの早すぎだよ!』と思うのに

たぶん、出来るのに10分ぐらい待ちました。

注文したのは牛丼ではなく、ネギ塩味の豚丼でしたが‥‥

今まで吉野家のアイデンティティーとして、

一つしかないメニューでの一点突破感と

店員さんの究極まで無駄を削ぎ落した動きとが

私の中で共感と納得ができていたのに、

昨日の吉野家はもはや吉野家ではなかったと感じました。

スキ家に影響されて、色々なメニューを作るのはいいけれど

大事なものまで無くしてしまってるのかなと思いましたね。

やはり『理念』って大事なんだな。

ユニクロ 暴動を恐れて尖閣の領土は中国の物と書いた物を貼る

柳井社長どうかしちゃったんじゃないか!

大丈夫ですか!

野田さんそろそろ決断しないと、アジアでの日本の

立ち位置の状況は壊滅的ですよ。

(PS この張り紙は中国人の店長がかってに貼ったそうです。

柳井さんがこんなことをするとは思えないですよね‥‥)

豊田さん送別会

先日、GMに9年以上勤めてくれた

豊田さんの送別会をしました。

西梅田の明るい雰囲気の場所でした。

←豊田さん

豊田さんの入社した9年前は、まだGMも人数も少なく

試行錯誤の連続で手探りでやっていた時期に自己確立と

やりがいを探しにメンバーになって頂きました。

いつも自己利益より、筋や意気に感じる気持ちを優先する

豊田さんに本当に助けてもらいました。

今までありがとうございました。そしてお疲れさまでした。

また何かではコラボすることもあると思うので、

これからも宜しくお願いします。

そんなGMも今はこんなに大勢のメンバーになってきました!

↓ちなみに二次会のカラオケではまた藤末くんがシャウトしてました。

本田宗一郎

先日御堂筋沿いの車のディーラーにふと寄ったら

なななんと‥‥

これは、かの90年代に一世を風靡した

F1マシンのホンダMP4/5ではないか!

しかも‥‥

セナモデルですよ!

私もバブル時代に鈴鹿にセナやプロストを

実際に見に行った一人として、チョット興奮

しました。

まだ本田宗一郎さんが生きていたこの頃、

全15戦のうち10勝する圧倒的な戦闘力があり、

日本の技術力は凄いなぁと思ったのを今でも覚えています。

ただ、本田さんが1991年に亡くなられて、

翌年にはF1撤退をして、ただのミニバンメーカーになった

と思ったのは私だけでしょうか?

私も若いころホンダのCR-Xに乗っていたので、

創業者スピリッツが無くなると魅力が

なくなるんだなと思いました。

セナはまだF1にあがる前のF3時代を日本で過ごしています。

なぜヨーロッパのF3じゃなくて日本のF3を選んだかは

後に、本人が人種差別のことを言っていました。

『日本は同じカラードで差別されながらも世界的技術力がある。

その人種が頑張っている日本でF3をやりたかった』と言っています。

今、日本は世界での存在感が無くなって来ているのではないでしょうか?

中国や韓国や世界との違いを打ち出す事なく、いつまでも

穏便政策を打ち出していてはセナも嘆いているのではないでしょうか?

もう一度、人種差別されながらもマン島TTレースにチャレンジして

優勝した本田宗一郎さんのスピリッツを思い出しても

良いのではないでしょうか?

不安

今日は暑いなぁ〜と思っていてふと見たら

暑いわけだよ。

これで大阪は節電できるのか?

計画停電に耐えれるのか〜?