GM 15th Anniversary

3/20にGMの15周年のパーティーをセントレジスで行いました。

本当に美味しく、楽しく、感動的な時間でした。

『本当にありがとうございました。』

その言葉しか出ませんでした。

sengoku38

改めていうまでもないですが、私は現代っ子です。

カギっ子でマンションで育った子です。

当然戦争も戦後も知らない、いわゆる豊かな時代に生まれ育った世代です。

その私が45歳になろうとしています。

その上で同世代の一色正春さん(44歳)のことを書こうと思います。

(知っての通り、去年尖閣列島の中国漁船衝突ビデオを公開した人です。)

先日、一色正春さんの日本外国特派員協会の会見をYOUTUBEで見ました。

内容は詳しく書きませんが、非常に感情的でなく客観的に冷静に中立的に

発言をしていました。

これは、いままでの世代の方は非常に困る事なんだとうな‥‥と思いました。

なぜなら、今までの方々は、必ず意見を右か左か、イデオロギーの方向性を

決めつけて、是非のレッテルを貼っていたと思います。

でも、我々以降の世代は『本質的な是非』がすべての基準になっていて、

イデオロギーはどうでもいいと思っているわけです。

我々から見ると、今まで方々は、『右か左かで仲間も仕事も生活も非常に影響がしてきた人たち』

と見えるし、その行動が結局、何をどう変えて、どう結果を出してきているのかが、

今ひとつわからないというのが、率直な意見なんですよね。

この会見の意味は、先日ブログに書いた橋元知事の考えもしかりで、少しずつ

『本質的な新しい物事の捉え方』が世の中に出てきてると思える会見だと思いました。

グリーンメディックも『本質的な基準』を大事に『結果』をはっきりと出せるようにがんばります。

チョコ

イオンのみんなからのチョコのことを載せたので

本局や吹田局のみんなからのチョコも載せます。

みなさんホントにありがとうございます。

毎日少しずつ食べますよ。

雪の万博

久しぶりの更新です。

最近は非常に忙しく更新出来なくてすみませんでした。

近況をチョット書こうと思います。

先日、橋下知事の『大阪維新の会』のタウンミーティングが

豊中で行われ、フラッと聴きに行きました。

会場は満員で非常に熱気とパワーが充満してました。

一つだけ感想を言えば、現在の大阪の閉塞感を打破するために

政治家的な手法ではない何かの必要性を感じた内容でした。

今の大阪いや日本に必要なのは、この20年の手法の失敗を

徹底的に分析することと、未来への具体的方策を早急に

実行することではないかと思うのは私だけでしょうか。

今日は大阪に雪が降りました。

千里の万博のホテルで学術研修会があり座長として参加して来ました。

研修内容は非常によかったのですが、万博にある太陽の塔が雪化粧になり

非常きれいで、しばらく静かに見てました。

しんしんと降る雪を見ていると静粛と同時にピリッとした感じになりました。

GM全体会議2011

今年も恒例のGM全体会議が先日の日曜日 朝9時!!から

行いました。

毎年みんなが今年の目標を発表するのですが、

今年は私からGMキャリアプランという

社内システムをプレゼンさせてもらいました。

時間のないなかで資料を作っていたので、みんなが

理解してくれたのか、どう評価したのか、が気になりますが、

このプランの目的は、みんなが納得し満足する職場をつくりたい!

ということで作ってみたので、なんとか結果を残せるようにがんばります。

そのあとで吹田に4年間勤めてくれた平田ちゃんの送別会を

しました。うちにきたのが19歳!の時で今23歳になり

外見も中身も本当に大人になったなぁと、みんなで

ひとしきり感慨にふけりました。

平田ちゃん4年間お疲れさまでした。幸せにね。

2011

あけましておめでとうございます。

いよいよ2011がはじまりましたね。

今年は一つ一つ確実に目標を実行していこうと

思います。

今日突然、鵜口さんのご主人が来局!!

いや〜いい人でした。

また来て下さいね。

「センス」の話

前回、理系の『センス』の話をしたと思いますが、この『センス』って奥深いですよね。

どうやってセンスは作られるのか?先天的なのか後天的なのか?どうやったら磨かれるのか?という事を考えてしまうからです。

勉強のことで言えば、私自身が完璧な『センス』を持っていたわけではなくて、劣等感は常にあったと思います。

だから少しでもその『センス』をバージョンアップするためにどうすればいいかをずっと考え、自分の立ち位置(役割)はどこなのかを考え、反復反復して勉強していたような気がします。

薬剤師においても処方解析や服薬指導なんかは『センス』が非常に必要となります。

処方せんを見てどんな患者でどんな疾患か?医師は何故この薬剤を選んだのか?医師が何を言いたいのか?これらを見極めるには基礎的な医学薬学知識はもちろん必要ですが、もう一つ、説明出来ない『センス』も必要なんですよね。

これは生まれ持ったものもありますが、目的や結果を意識してどれだけの数(臨床)にあたったか?によって作られていくと思いますし、もともとセンスが無くてもそれはそれで、自分の役割を全うするプロになればいいわけで、その目的意識を持つ事が『センス』を持つ事になるし、逆に言えば、目的意識を持たずに10年やっても全く『センス』を持たない薬剤師にしかならないということですよね。

薬剤師はもっと『センス』を磨かなくちゃね!

不平等な平等

新年あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

2007年の一発目のコラムですが、私は昔から数学と物理が大好きな理系人間で、最近自分の子供の勉強の話や学校の話を聞いて違和感を覚えたことがあったので、コラムに書こうと思います。

私が何故、数学や物理(理科)が好きになったかと言うと、物事を解くという好奇心が満たされたことも当然なんですが、なんせ『不平等』だったんですよね。

難しい問題になればなるほど解ける人間と解けない人間とに分かれ、どんなに努力してもひらめく人間とひらめかない人間に分かれる。

勉強した時間と結果が比例しないという不平等さが私を無性にひきつけ、それゆえの逆転性(ギャンブル性)が生まれることが非常に楽しかったのを覚えてます。

加えて、文章題などは解へのアプローチが一つでなく複数あり、基礎学力と応用学力を駆使して論理的な解き方(文章)をクリエイト(創造)していく感覚が非常に芸術的だと感じていました。

そうなると一番大事なのは『センス』ということになり、またこれが不平等なんですよね。センスがなければ『きれいな解き方』にならない。

これが理系の楽しさだったような気がします。

今、うちの子供の勉強を見ていて感じることは、『平等』なんですよ。みんな可能性がありがんばれば報われるような教育のような気がしてならないんです。

不平等であっても平等の感覚、例えば、私の小さな頃はクラスでは役割が各人あり、(自分のなりたい立ち位置と現実の立ち位置のギャップはあるけれど)自分の役割をはたすという意味での平等さがあり、クラスが成り立っていた様に思うんですよ。

それは個性の尊重ではなく各役割の全う性であり、不平等だったけど当人は平等感があったんですよ。

そういう感覚をもっと子供のころから教えた方がいいのではと思ってしまいます。

俺からすれば、今の平等は不平等だよね。