イチローと薬剤師


なんとなくミーハーっぽいが私はイチローが好きだね〜
(愛工大明電時代からではないが)
何が好きだといえば、派手じゃないところかなあ?

それと、いわいる現在一般的日本人が良いとするところではないことを継続して結果を出しているところだと思う。

もう少し具体的に言えば『安打』というなんでもないこと(一般的に脚光の浴びないこと)を極めていき進化を常にさせる事での美しさを創造していることだ。

普通は大きなことや、誰もが羨む(分かりやすいこと)をすることを是とし、尚かつ最近の日本の教育システムよろしく欧米型のアピール好きの行動パターンでの世論への露出戦略が多いなか、イチローは私が考える一番日本人が世界で通用するパターンでの結果創造に見えるからである。

安打数の記録といっても毎日の安打なんて誰もすごいとは言わないと思う。
しかし、継続と磨き込みの積み上げ作業による結果は途方もないものになっているわけだ。

実際彼はカメラの届かない場所で毎日、毎日、毎日変わらぬ地味な練習を考えられない時間やり、常に極めることでの進化をして結果を出しているに違いないと私は思う。

このパターンは戦後の日本が世界へ通用する唯一の方法でありホンダしかりソニーしかり現在の世界的企業しかりである。しかし、近年は欧米の影響で日本にこの手の力(団塊の世代以降)があるかどうかは疑問だけど…

医療における薬剤師の位置づけも日々の作業は脚光のあびない立場であることは間違いないわけだが、日々の業務の極め方いかんでは非常に大きな視点からの業務になると私は思っている.

それはDrは診断という主観的な職業でありどこかで結果のために自分の意見を集約するわけだが、薬剤師は膨大なDrの処方パターンを知っていてその中から処方されている薬剤選定の客観的な判断による全体的な大きな視点での説明(服薬指導と処方監査および患者のコンプライアンス向上)が仕事になるわけだ。

この地味な作業を極めて継続し積み上げることはイチローがやっている美しさと通じるところがあるんじゃないかと私は思う。
他の薬剤師の方そう思いません?

資生堂と水野薬局

私の知る限り調剤薬局という言葉が一般に知られるようになったのはここ15年ほどではないだろうか。

そもそもいつから調剤薬局はあったのか?(薬局の許可をもらうには調剤室がないとダメだし調剤ができるのがあたりまえじゃないか!という建前論はおいといて)そもそも調剤薬局ってなに?と思った時があった。

日本で西洋調剤薬局ができたのは1872年(明治5年)銀座に資生堂がはじめたのが最初である。

そう!資生堂はもとは調剤薬局だったわけである。その後全国に西洋調剤薬局はできたわけである。

え?西洋調剤薬局って何?

その当時、各薬局では自家製剤を製造しており医薬品を製造していた薬局のことをさしていたようである。製造していた医薬品が有名になりメーカーになった薬局(企業)もあり、まさしく薬の局(つぼね)であったようである。

現在の、処方せん調剤の意味の『調剤薬局』がはじめて出来たのは1909年(明治42年)水野薬局が東京大学付属病院前に開局し1964年にわが国はじめての処方せん調剤薬局(処方せん調剤を主にする薬局)が認可されたわけだ。

なぜ水野薬局が調剤(処方せん調剤)と販売(一般薬)を分離しようと思ったかは永い歴史の上にたった決断だったし非常に崇高な信念の上での流れだったと思う。しかし、今、処方せんが一般化し医薬分業率50%を越えた現在、若い薬剤師のなかには薬剤師の仕事は処方せん調剤(ただ数あわせの調剤と簡単な薬の説明)と思っている方がいるのも事実だと思う。

私は、GREENMEDICが水野薬局の調剤に対する質の追求と、資生堂が考えていたメーカー的考え(創造的)が融合した薬局ができればいいなと日々考えているところだ。

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