新年あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
2007年の一発目のコラムですが、私は昔から数学と物理が大好きな理系人間で、最近自分の子供の勉強の話や学校の話を聞いて違和感を覚えたことがあったので、コラムに書こうと思います。
私が何故、数学や物理(理科)が好きになったかと言うと、物事を解くという好奇心が満たされたことも当然なんですが、なんせ『不平等』だったんですよね。
難しい問題になればなるほど解ける人間と解けない人間とに分かれ、どんなに努力してもひらめく人間とひらめかない人間に分かれる。
勉強した時間と結果が比例しないという不平等さが私を無性にひきつけ、それゆえの逆転性(ギャンブル性)が生まれることが非常に楽しかったのを覚えてます。
加えて、文章題などは解へのアプローチが一つでなく複数あり、基礎学力と応用学力を駆使して論理的な解き方(文章)をクリエイト(創造)していく感覚が非常に芸術的だと感じていました。
そうなると一番大事なのは『センス』ということになり、またこれが不平等なんですよね。センスがなければ『きれいな解き方』にならない。
これが理系の楽しさだったような気がします。
今、うちの子供の勉強を見ていて感じることは、『平等』なんですよ。みんな可能性がありがんばれば報われるような教育のような気がしてならないんです。
不平等であっても平等の感覚、例えば、私の小さな頃はクラスでは役割が各人あり、(自分のなりたい立ち位置と現実の立ち位置のギャップはあるけれど)自分の役割をはたすという意味での平等さがあり、クラスが成り立っていた様に思うんですよ。
それは個性の尊重ではなく各役割の全う性であり、不平等だったけど当人は平等感があったんですよ。
そういう感覚をもっと子供のころから教えた方がいいのではと思ってしまいます。
俺からすれば、今の平等は不平等だよね。